2016年11月21日月曜日

12月26日~12月31日 2012年



12月26日
本日の走行距離154km 計8457km
今日はゆっくり7時起床。珈琲とスポンジケーキで朝食後、8時出発
本日は最後の峠越え、600mUPで4300mほどまで再び登るそうだ。
最後の頑張りとお互いに言い聞かせ走り始める。

朝方は風が無いのでゆっくりオフロードを上っていくのみ、特別な技能は必要なくただ漕ぎ続ければいいのだ・・・しかしわかっていても単純作業が大変なんだよな。
雪解け水の中で健気に育っている雑草に力を貰い、11時過ぎに上りきる。

これでサンフランシスコ峠編の上りは終了。後は4000m下るだけだ!!

オフロードはまるでシェーカーの中のよう・・・・景色はよいが揺れ過ぎて後ろにつけた荷物がずれ落ちてくる。

1時間ほど下ると、少し道がまともになる。今日はやたら車が多いと思ったら年明けにあるダカールラリーの下見か何からしい。

ある程度下った後、向かい風が吹いてくる・・・それもとても強く。
下りなのに進まない・・・いつもは時速30kmほど出そうな道も、時速10km程度・・・ほぼ漕がないと進まない・・・ここの向かい風の話も聞いていたので心の準備はしていたが予想以上に大変だ。

風に苛立つ。

「風が無ければもっと快適なのに・・・」とついつい思い苛立ってしまうが、「あるものは仕方ない・・・時速15kmがやっとでも進めるだけましだと思おう・・」「世の中、多く望むから失望するのだ・・・」などと自分をなだめながら進んでいくが、やっぱりこれが毎日だったら心が折れるな・・・

下り坂なのにペースも上がらず風で体も疲れる。

標高が下がり気温が上がってきたので途中休憩しながら進む。
途中、交通事故にあった子供の両親が「寂しくないように」との思いからか豪華に飾ってあったお墓の近くで休憩。

20時過ぎ、154km走ったところで終了することに。
コピアポまで頑張ればたどり着ける時間だったが、疲れて町に到着は嫌だし、あわてる必要も無いので、砂漠に寝袋のみで野宿。
思ったよりも夜は涼しいようだ。

珈琲を沸かし、クラッカーとパテで簡単な晩御飯を済ませ22時就寝。
いよいよ峠越えも終了。
明日は美味しいものが食べたいな。

12月27日
本日の走行距離25km 計8482km
6時半起床。
寝袋のみでも熟睡。砂漠なのに湿度が高いのか寝袋などが湿っていた。

コーヒ-とクッキーで朝食後、8時に出発。
久々に快適な舗装路は走りやすいので時速20km近くで一気にコピアポを目指す。
9時すぎにあっさりコピアポの町に入るとレストランなど生活の匂いを感じる建物が出てきた。
ついでに車も増えてきたので走りにくくなった中、宿泊場所を探し、ホテルを見つけたので値段を聞くと100USD・・・2軒目60USD・・・3軒目91USD・・・

チリは恐ろしく宿が高いのか???事前情報も無いので安いホテルを尋ねるとロドリゲスが安いとの事。
行ってみると個室WIFIで12000C(2200円ぐらい)・・・クオリティの割りに高いけど仕方ないので宿泊決定。

その後、お金を下ろしに銀行へ。
200000C(だいたい35000円?)をおろすのに手数料6000C(1000円)ほど!!
ふざけるな、と思ったが、とりあえずお金がないと何も出来ないので今回は諦めて手数料を払う・・・たしか銀行によって手数料がちがったはずだな・・・

その後スーパーへ
店内で食べられる場所があったので、コンプレート1900Cとチキンセット2200Cを頼んだのだが店員の態度が異常に悪い・・・疲れているときにやめてほしい。

味も・・・いまいち・・

久々なので楽しみにしていたのに・・・アルゼンチンのほうが美味しく安い。

買い物を大量にして、宿に戻りメール返信など。

夕方再び買出し、水やらハムやらで6000c(1100円)お金が一瞬で消えていく・・・・今日はご褒美としても明日からどう乗り切ろうか。

晩御飯はサンドウィッチ。
どうやら、野菜を体が求めているようなので、アボガド&トマト、それにハムとチーズ。
・・・美味しいんだけど、新鮮味の無い味だ・・・チリにしかない郷土料理とか無いのかな・・・・
その後、Facebookに写真を上げる作業。
22時半就寝。

12月28日
本日の走行距離0km 計8482km
7時起床
朝食にパンを食べ、写真のUPや日記の更新をして過ごす。
その間、ひたすら間食を続ける・・・
山で食べ物が思ったように食べられなかった反動が今頃やってきているようだ。

昼はインスタントラーメンのマルちゃん。
ひとつ3~40円程度でラーメンが食べられるのはありがたい。

しかし、せっかく町に来たのに栄養が偏っているな・・・・チリは物価が高い上に食べ物のレパートリーが多くないようなので今後自炊中心にしなければならないのかもしれない。

午後も、のんびり、昼寝したりネットしたりと宿から出ず休養日。

20時ごろ、ようやく近所のレストランでコンプレト(ホットドッグにアボガドペーストが乗っているもの)を一個1100C(200円)で二つ食べる。

ジャンクで美味しいが、毎日食べたいものではないし満足感も無い・・・食事が安く美味しく食べれる国に行きたい。

その後、夜買出し、チリのスーパーのレジは異様に遅い・・・暇なので人間観察をしていたが、美人の産地3Cと言われる(他コスタリカ、コロンビア)ような美人はおらず、どちらかと言えば少し同情してしまう雰囲気・・・顔云々よりも、食べ物の問題で太りすぎているのが大きな理由なのだろうが。
やっぱりコンプレト、炭酸ジュース、ポテトの食事は良くないよな。

帰ってアボガド、ハム、トマトをクラッカーに載せて食べ、シャワーを浴び、日記を更新し寝る。

疲れが出ているのか2人とも体が重い・・・

0時就寝

12月29日
本日の走行距離134km 計8616km
8時半起床・・・寝坊した・・・

シリアルで朝食後9時45分出発。
町を抜けた後、緩やかな傾斜で500mほどUP,その後ひたすら小刻みなアップダウンを繰り返す。
峠越えのように標高は高くないし、風も無い、そして道も良いのでスムーズに進むのだが、景色が単調なので面白くない・・・
地味に30kmほど進むと、日本のサービスエリアの規模をかなり縮小し、ついでに売店なども取り除いた結果ただトイレしか残らなかったというような休憩所に到着。
そこでパンを食べ、休憩。

近くに売店あるかと聞くと「30km先にあるだよ」と教えられたので信じて進んでいくが無い・・・

結局そこから45kmほどの場所でポサダ(レストラン)を発見し、そこで昼ごはんを食べる。
・パン×2
・鶏肉スープ×2
・コーラ1・5ℓ
で計4500C(800円ぐらい)

やはりチリは少し高いな・・・でも久々に体が求める味だったので良い。野菜と鶏肉を煮込んだ定番のスープは美味しい。

食事で充電した後、さらに走る。
40km先に違うポサダがあり、「そこならテントを張らせてもらえるのでは」との情報を聞いたので、そこを目指し単調な道をひた走る。
しかし・・・40km走っても何も無い・・・テントを張るための野宿場所も見当たらない・・・

すでに120km走行。

仕方が無いから145km地点の町まで行こうかと思ったころにポサダ発見。
スプライト1ℓを注文し野宿交渉をする。

が・・・「ここは夜間電気はないし治安も良くないから・・・」と断られる。

治安が良くないと言われるとこちらもそれ以上お願いできないので町を目指すことに。

しかし1km先に再びポサダ発見。
再び交渉すると、道を挟んで反対側の家を今全く使っていないからそこでよければテントを張ってよいと言われる。

家を覗いてみると屋根もないし、床はごみだらけ。
でもテントを張る分には風除けもあるし申し分ない。

ので、テントを張り、晩御飯はそこのポサダで食べることに。

・鶏肉とミニパスタのスープ
・豚肉のグリルと米
・紅茶×2
で4300C(800円ほど)

宿代を考えれば安いものである、今日は2食も外食し、体が喜んでいる。
ようやく峠越えを頑張ってくれた体にご褒美を与えることが出来てうれしい。

正月はラセレナあたりで過ごそうと思っていたのだが、ラセレナ出身のおばちゃんが、ラセレナは物価が高いから海沿いの村のほうがいいよ、と教えてくれたのでそちらを目指すことに。

22時半就寝。

12月30日
本日の走行距離139km 計8755km

6時15分起床
クッキーだけつまみ7時15に分出発。
外はもやがかかっている、昨日もそうだったのでチリは毎日こうなのかな?
海からの湿度のある風が夜の間に冷やされてこうなるのだろうか?もう少し自然現象の知識があればいろいろ楽しめるのにな。

出だしは下り。
真夏でも砂漠地帯のためか朝は冷え込む。
15kmほど下ると=の町。
そこを素通りしてさらに進むと坂道に。
本日はここから上り坂・・・
淡々と上っていく、30kmほど走ると、アサが腹が減ったというのでパンをモリモリ食べる。
その後走り始めるとポサダ発見。
看板に「パンなどあります」と書いてあったので立ち寄ると繁盛店。
気になるので珈琲を飲みにピットイン。
一杯800C(130)とまぁまぁいい値段。
どうやらヤギチーズとオリーブが特産のようだ。
気のいい働き者の店長さんがパンをサービスで出してくれたので、オリーブ1000C(170円)とチーズ1350C(200円)を購入することに。
ここの店長は繁盛店の忙しい中でも笑顔と冗談を欠かさずにせっせと働いている。
旅でいろいろな国を周っていると日本人の接客の丁寧さが際立って感じられるのだが、彼は日本人にも負けていない働き者であった。

朝から2回も休憩したので心を入れ替えてしっかり走る。
せっせと坂道を上り1100mまで上がった後、しばし下る。
下りきったところにポサダがあったので12時半ごろだし、と牛筋煮入りのスープ(2000C)とコーラ1ℓ(1500C)を注文。
辺鄙なところにある店のためかやや値段は高い・・・でも美味しかったからよし。
野宿のときは食べ物だけでも豪華にせねばやっていられない。

お腹も膨れ、水を貰った後、またもや上り坂。
どうやら730mぐらいから1300mまで上がるようだ・・・昨日の疲れも残っているし、今日は昨日より暑いためか力が入らない・・・しかし今日中に上りきっておかないと明日ラセレナにたどり着けないので頑張る。

ゆっくりゆっくりと上っていくがなかなかしつこい坂道で終わりが見えない・・・・何度も「そろそろ終わりかな?」と思わせるカーブがあったのだが、カーブを曲がるとまた上り・・・という連続・・

力尽きてきたのでチーズとオリーブを投入する。

食べたら少し力がわいてきたので再び少しずつ上り、。16時半にようやく1300m地点に到着。
ここからは下り。
若干向かい風になったがぐんぐん進んでいく。

本日109kmとなったところにポサダがあったので休憩。
アイス(650C)とスプライト1・5ℓ(900C)を購入し、店の前の木陰で休憩。
宿の少年とあれこれ話した後(子供は言葉が早いので半分程度しか理解できなかったが・・・・)店のばちゃんと会話。
どうやら明日の大晦日はすべての店が17時終了との事・・・

今日はこの町で宿泊しようと思っていたが、もう少し進んでおかないと明日17時までにラセレナに到着できない・・・買い物をしないと食べるものが無いのである。

正月をどこで過ごしてもあまり気にはならないが、食べ物がひもじいのはちょっといやだ。
のでもう一分張り。
下り坂が結構続いたが猛烈な向かい風で漕ぎ続けないと進まない。

頑張って130km地点まで走ってから野宿場所を探し始めたのだがなかなか無い・・・

140km地点で候補を見つけたがまだ19時半で明るかったのでラーメンを作り食べる。
20時になり、暗くなったらテントを張ろうかと思ったのだが、バイクがブンブンと走り回っておりあまりよろしく無さそうなので移動。
もう少し走り、日が沈んだころまずまずの場所を見つけ21時に139kmで終了。疲れた。

まだ明るいので珈琲を沸かして暗くなるのを待つ。
それにしても疲れたときの珈琲はなんでこんなに美味しいのだろう。
僕らは基本、治安問題さえなければ野宿は嫌いじゃない。どこか良くわからない空の下で寝るのは気持ちのよいものだ。
ただ、場所を間違えるとトラブルに巻き込まれるので気をつけねば。

21時半に暗くなったのでテントを張り日記を書いて22時半就寝。


12月31日
本日の走行距離76km 計8831km
6時半起床。
疲れのためか昨日は野宿なのにすっかり熟睡できた。
クッキーを食べ、7時50分出発。

出だしは平地で今日も朝もやがかかり涼しい道をひた走っていたのだが、この世の春も長くは続かないようですぐに上りに・・・予定では今日はそこまでの上りは無いはずだったのだが(標高300mスタートで海抜0mライン終了なので)意に反し、だらだら続く・・・

これだけ上ったのだから後は緩やかに下り続けたらラセレナにたどり着くのかな?と淡い期待をしていたのだが、30km過ぎからの一気の下りであっという間に上り貯金を使い切る・・・そして久々の海。

チリといえば魚介!!なのにずっと山がちな場所におり、今まで楽しめていなかったので海鮮を食べることに

・海鮮スープ3800
・海老とチーズのエンパナーダ1700
どちらも値を張るだけあって海の旨みが凝縮された味がして美味しい。

一番楽しみだったサーモンは南部にしかないらしい・・・そういえばビーニャぐらいからだった気がするな。

ラセレナまで、ここから峠4個あるそうだ・・・海まで降りてきたのにまた上らされるとは・・・

しかし、僕らに与えられた選択肢は漕ぐことだけ・・・疲れた体で峠をひとつずつ上ってく。
途中で日系ブラジル人のサイクリストに出会う。
彼はブラジル南部のポートアレグレからアルゼンチン側を走ってウシュアイアまで下り、再び北上しボリビア経由でブラジルに戻るそうだ。
いろいろなスタイルがあるな。

明日正月だけどどこで過ごすことになりそう?と聞いてみると「その辺で野宿かな?」と笑っていた。
自転車で旅をするとだんだん、日付の感覚がなくなってくるのだが、正月すら全く関係ないのか。
うちらもイベントとかはもうお腹いっぱいだからいらないけど、やはり正月ぐらいは体と心を満たしてあげたいな、と思ってしまう。

まぁ・・・正月を特別視するのは日本(アジア)が特別な気がする。
外国の田舎町ではわりと普通の休日感覚なので。
たぶん、今日すれちがった羊飼いの少年少女たちにとってはいつもとかわらない普通の日々なんだろうな。
でも、個人的には「正月=いつもと違う日」という日本の感覚のほうが好き。理由は何だか特別な感じがするから。

今年はラセレナでのんびり過ごすことになるだろうけど「正月だからのんびりしよう」という気分になれるのもうれしい。



彼と別れ、その後、峠が4つ終わり14時前にラセレナ到着

予想より大き目の街だったので不快になる前に宿を決め、(12000C、ダブルルームで個室、やや狭く無意味にTV付)
シャワーを浴び買出しへ、今日は夕方までしかスーパーが開いていないようなので。
山のように買出しをした後、宿に戻りパテオ(中庭)で白ワインとサンドウィッチ。
張り詰めていた緊張感がほぐれると、体が疲れていることに気が付く。
今年一年も良く頑張ってくれたな。

晩御飯は米を炊いてアボガド丼。その他ソーセージやらサラダやら。

22時ごろから海沿いの灯台でカウントダウンライブがやると言うので歩いていってみる。
灯台を飾りつけたメイン会場にはまだお客はちらほら・・・日本のような出店はあまり無く、おのおの弁当を持ってきたり、そのあたりでアサード(焼肉)をしている。

生バンドの演奏が始まったころからお客が増えてきて、音楽に合わせて踊るもの「音楽よりも酒だ」と酒を飲むもの、カップルで語り合うものなど、おのおの好きなような過ごし方をしていた。

このぐらいの押し付けがましくないパーティーは心地よいな、と1時間ほど過ごしたが、寒くなってきたし眠くなってきたので23時前に宿に戻り、映画を見ながらのんびり。
0時のタイミングで花火が上がる音がした。
今年も始まったんだな、2013年、平成で言うと何年なのだろうか?平成22年ぐらいまでは何かに書いた気がするから25年かな?ともかく今年も楽しく過ごせたらよいなと思う。

12月20日~12月25日 2012年



12月20日
本日の走行距離55km 計8039km
4時45分起床
キャンプ場の電気が朝はつかないようなのでもう15分寝て、準備開始。
いよいよ、出発の日であるな。

風邪は完全には治っていないが鼻水程度なのでまぁ大丈夫だろう。

朝食にパンとドゥルセデレチェを食べ、6時半出発。

出発後、町を抜けるまでに1kmちょっと、その後はサンフランシスコ峠に向けての一本道になる。

景色が広大なため、走っても進んでいる気がしないのだが、速度メーターをみると時速10kmちょっとを表示しているので一応進んでいるのだろう。

左手にピンクや薄茶色の岩山群、右手、遠くには通常の岩山群が聳え立っておりその間をひた走っていく。
本日、荷台の上に17ℓの水を積んでいるためか、病み上がりのためか、ペダルが少し重く感じる。
左ひざに少し違和感があるが、峠越えが終わるまでは何とかもってほしい。

序盤戦は斜め後ろからの微風にも助けられ、時速10km前後で進んでいきながら適宜写真を撮る。
すれ違った車旅行者(ドイツ人かな?)が「峠は美しいけど険しいから頑張ってくれ!!」とエールをくれた。

10kmごとに小休憩をいれ、バナナ、トマト、コーラなどを飲みながら進む。

昨日町でチェックした限り、水を買う場所は無いが、途中に一軒あるホテルとキャンプ場、また最悪、近くを流れる川の水も沸かせば飲めそうなので、持参した水は僕の23ℓとアサの3ℓの計26ℓ。
予定では2日目か3日目に補給できるはず・・・まぁどうなるかな?

高度が少しずつ上がるため、思ったよりは暑くならず、日陰に入るとかなり涼しいので数日前のオフロードのような暑さバテは無い。

12時までに42km走り、予定では本日の残り28km。
おにぎりを昼ごはんとして、綺麗な色をした無骨な形の岩山を眺めながら走る。

53kmほど走ると「この先2kmでレフヒオ(避難小屋)あり」のサインを発見する。
ちょうど風向きが変わり正面からの厳しい暴風になっていたので、そこで休憩することに。

しかし・・・たった2kmでも強い風にあおられるとまともに進めない・・・横風の時には対向車線まで押し出されるほど・・・噂どおりの風である。

なんとかレフヒオに到着する。建物内は簡素だが、風や日差しをしのぐためには申し分ない。

風がやむまでの小休憩・・・・のつもりが一向に止む気配が無く、常に向かい風で暴風が吹いている・・・

しばし、休憩していると、日陰のためか集中力が切れたためか、寒気がしてくる・・・まずいな、こんな所で熱が出たら峠が越えられない・・・・

結局、1時間半待っても風が全く止まないので、本日はここに宿泊することに。
昨日作成したそぼろ丼を食べ、風邪薬を飲み2時間ほど昼寝。

起きたら寒気が止まっていたが、あいかわらずの向かい風・・・明日は止んでくれるかな?

20時ごろお湯を沸かし、珈琲を飲む。
夕日が当たる岩山も綺麗である。
こんな静かな場所でのんびり過ごせるなんて本当に贅沢だな。
21時就寝。

12月21日 
本日の走行距離83km 計8122km
6時半起床。
風邪薬のおかげか熟睡でき、体調もましである。
朝から珈琲を沸かし、パンとドゥルセデレチェを食べる。

7時半出発。
でだしに少し上り坂があったがその後はフラットな道が続き、景色を楽しみながら走っているとビクーニャがいたので挨拶すると、クルクルクルクル・・・と返事をしてくれた。

黄緑の草に、薄ピンクやら薄茶色の山肌が鮮やかで、2人そろって大興奮。
やっぱり来てよかったな、今までの2年半、こういう景色を全く見ずに過ごしていたんだな・・・・

1時間で15kmほど走り、レフヒオNo2に到着。
レフヒオのゲストブックを読むと、2ヶ月ほど前に走った人の記載でレフヒオNo1からここまで向かい風の中を進んだら、3時間半もかかったようだ・・・昨日無理しなくて良かった。

小休憩後、20km先にホテルがあり、そこで水分の補充が可能という情報を頼りに、相変わらず絶景で比較的なだらかな道を進んでいく。

11時半ごろホテルに到着。
水はほしいが、ただ貰うのも気が引けるので、1食注文する。
・鶏肉のグリルステーキ
・トマト、たまねぎのサラダ
・パン
で50P(650円)
まぁ、水8ℓほど補充させてもらったのでこのぐらいは払わねば。
ついでにパンを10P分購入させてもらい、良い感じの休憩を取ることが出来た。
ちなみにホテルの宿泊は1人朝食つきで150Pとのこと。
もし、峠越えを断念したらここに泊まることになるだろう。

12時半に出発。

とりあえずレフヒオNo3を目指して進んでいく。
本日は風が斜め後ろから吹いてくるので少し楽に走ることが出来る。

完全な荒野にいるのはビクーニャ、羊、牛が少々とそれらの飼い主?が一人。

ゆっくり走り続け14時過ぎにレフヒオNo3に到着。
本日は、ここで宿泊でも良いかな?と立ち寄ったところ、僕らに続いて車がやってきて、一人のヒッチハイカーを下ろしていった。

ポーランド出身の彼はこれからOro del saladoという山に単独で登りにいくそうだ。
この山の標高は6700m以上・・・そんな高度に単独で!!
とたずねたら、難易度的には難しい山ではないので風と寒さと高山病さえなければ上れるとの事。
入山料もチリ側から登ると200USDなのにアルゼンチン側からは無料らしい。
う~ん・・・ここももう少し早く知っていれば挑戦してみたかったな。
ただ、今回は食料の問題、時間の問題もろもろあるので諦めなければいけない・・・・でも世界には入山料がいらない6000m級の山があるのだな。

彼が出発して行ってから、外は結構強い追い風となる。
これは、この機会に少し進んでおいたほうが良いであろう、と判断し、15km先のレフヒオNo4を目指すことに。

ここまでの道のりははじめ少し下り、そこからじわじわ上るもの。
標高も3500mを越えているので上りになると息が切れる・・・・

しかし、追い風を味方にゆっくり着実に上り続け16時15分、無事レフヒオNo4に到着。
道的にはたいしたことなかったのだが、やはり標高が高い場所で80km以上走行すると、少し疲れる。
できれば峠越えまであまり体力を使わずに進みたいのだが・・・

荷物をレフヒオ内に入れ、さっそく晩御飯。
今日は
・魚肉ソーセージ
・チーズ
・パン
・松茸スープ
スープは日本から持ってきて2年半、そろそろ終盤だしと使ってみたのだが、やはり美味しい。体が安心する味である。
風邪薬を飲み、18時半ごろから日記を書き、20時就寝。

12月22日
本日の走行距離46km 計8168km
6時起床、昨晩も冷え込んだがポーランドの彼は大丈夫だったのだろうか?
珈琲、パン、チーズで朝ごはんを取り7時半に若干の向かい風の中を出発。
本日は出だしから緩やかなのぼりが続く・・・標高3750mを越えているのと、連日の上り坂で足が少し重い・・・風邪による鼻水はしつこく続いているが、熱は出ていないのが助かる。

ロバ、ビクーニャと相変わらずの自然の美しさを楽しみながら少しずつ進んでいく。
20kmほど進み、良い景色の場所でゆで卵を食べる。

さらに10km進み、11時にレフヒオNO5到着し、早めの昼ごはんとしてパン、チーズを食べる。この時点で3950m、いよいよ4000mも近づいてきた。今のところ2人とも高山病の気配は無く順調である。

11時半から再び進み、さらに坂道を上り続けること6kmほどで下り坂に差し掛かる。
ここからは見え隠れする山々の頭を見ながら下っていく、と・・・遠くの小屋に人だかりが・・・なにやら手招きされるので寄ってみたらビクーニャの毛刈りを行っていた。
手足を縛られ体を押さえつけられた状態で毛を刈られていたビクーニャ達の中には恐ろしさで失禁しているものもいた・・・怖いだろうな。

一匹、毛を刈られている状態から果敢に飛び出して逃げ切った勇者もいた。
そんな様子を見学していたら、毛刈りのおじさんが「この毛を日本に売りたいんだがどうだと思う?」と尋ねてきたので「ビクーニャの毛自体はアルゼンチンより高く売れると思うが、輸出にかかる税がどれぐらいかかるのかわからないので何とも言えない・・・」と答えておいた。

その後も下り続けると、今まで頭の部分しか見えていなかったインカワシ、サンフランシスコ山の全景が見えてきた。
インカワシは名前もなんだか格好良いが、見た目、特に色が今まで見てきた山とは全く違う色使いでものすごく魅了された。
山単体の格好良さでは歴代1位かもしれない。

山を見ながら下るとアルゼンチンのイミグレーションに到着。
スタンプを貰い、その後「荷物チェックをするから待っててくれ」といわれて待っていたら団体客がやってきたので「もう行って良いよ」と言われる。

13時半に有料レフヒオに到着。
本日はここに宿泊、シャワー、洗濯を終え、電子機器の充電と、水の補充等終わらせ、キッチンがあったので少し早めの晩御飯。
インスタントのリゾットに大蒜チップ、チーズ、魚肉ソーセージを加えたものに、細麺パスタを嵩増しのために加える。

腹いっぱい食べた後、管理人のおじさんと話していると、6700mほどのインカワシは少なくとも2~3日かかるが6100mほどのサンフランシスコ山は麓にテントを張り、早朝に出発すれば日帰りも可能との事。ただ、風も強いし、高山病になることもあるから数日の高地順応は必要だろうとのこと。

夕方のんびりしていると、ひとつのアイデアが浮かぶ。
それは明日サンフランシスコ峠を越えてラグーナベルデで一泊した後、チリに抜けずにもう一度峠を上り返してアルゼンチン側に戻り、来た道を下り、アグアネグラ峠の方まで南下するというもの。
というのも、ラグーナベルデを越えて以降チリ側に美しい場所があるという話も聞かないし、あまりチリに興味もない。
同じ道を戻るにしても常に絶景だし、下りきった後、国立公園などを巡りながらアグアネグラ峠に向かうことが出来る今回のアイデアは良いのではないだろうか?
夕方、イミグレーションの職員に出国スタンプを貰ったが、チリに抜けずにまた戻ってきても良いかを尋ねてみよう。

日記を書き、18時よりイミグレに出向き上記の件を確認したのだが、結果NG・・・・やはり、いったんスタンプを貰ってしまったらチリのスタンプを貰ってからではないとアルゼンチンには入れないとの事・・・まぁ仕方ない。

明日の弁当兼晩御飯作りをしていると、イタリア人のツアーガイドがやってきたので世間話をしていると、このあたりの山は高度があるわりに、比較的登攀技術を必要としないとのこと。
明日、うちらが越える予定のサンフランシスコ峠近くにあるサンフランシスコ山の難易度を確認すると、前日に4700mのレフヒオまで移動しておいてスタートすれば、順調に行けば往復11時間ぐらいで可能は可能とのこと。
ただ、高地順応が出来ているかは大切とのこと。
う~む・・・高地順応できているかはさておき、毎日上り坂で太股筋が疲弊している状態での挑戦はさすがに無謀か・・・しかし・・6000m以上の山に単独で登れるのは(アサは置いていく)これが最初で最後のチャンスかもしれない・・・

挑戦してみて無理だったら無理で仕方が無い、行ってみたいな・・・
ただ、問題点として
1、4700mのレフヒオが見つかるか
2、そのレフヒオで一夜明かせるか(寒さが心配)
3、僕が登っている間アサをレフヒオで11時間待たせることになる
4、登って疲弊しきった体でこの先チリまで走りきることが出来るのか
5、単独行となると、道のりもペースもすべて自分次第
というものがある。
3はアサの同意も得られ、4ははっきり言って自分の頑張り次第、出来る出来ないで無く挑戦するからには責任を持って最後までやり遂げなければならない。
2は・・・なんとかなるかな・・・
問題は1と5か・・
1は見つからなかったら縁が無かったとして諦めるほか無いとして、5は・・・こちらの山に親切な案内などあるはずも無く、ガイドの話で「始め左のほうへ、途中から右のほうへ、その後頂上に見える場所があるがそこがピークではなく、そのさらに奥」との雑な情報を貰ったのみ・・・・不安・・・

しかし、それも無理だと思えば諦めて下ればいいことだ、問題は、諦め時・・・

う~む、サンフランシスコ峠を越えてもいないのにすでにほかの事に目移りしてしまっているな・・・

まぁ、明日の成り行きですべて考えることとしよう。

夜なかなか寝付けなかった・・・おそらく6000m峰に単独で挑戦できるかもしれないという考えに興奮したのだろう。
これほどわくわくできることはめったにないので、登れる登れないに関わらず、この高揚感がもてたことに感謝。


12月23日
本日の走行距離22km 計8190km
6時起床
珈琲とパンで朝ごはんを終え、出発準備をしていると、イタリア人ガイドも起きてきたのでしばし会話。
かれは冬山登山のガイドやら何やら大変な仕事を多くする代わりに、年に半分ほどはホリデーをもらっているとのこと。
仕事はかなり責任重大だけどなかなか素敵な人生だな。
7時半出発。
いよいよサンフランシスコ峠越えだ!!

出だしから緩やかな上り坂、そしてまずまず強い向かい風・・・時速6km程度で進み、風が強いのでアサを背後にぴったりと付かせ風除けに。

本日はペース配分を心がけ、後ろについているアサの呼吸に応じてペースを調整。
ときおり、風が弱くなったときに写真を撮り、その後は時速4~7kmでジリジリと進む。

ここまでこれたから基本的に高山病の心配は無さそうなので、あとは無理せずゆっくりと進んでいく。
風邪を引いていたのがだいぶ良くなったからか、個人的にはゆっくりペースであれば息が切れることもあまりない、ただ、アサはけっこうたいへんそうだ・・・

僕がペースを上げるとアサのペースを乱すので、ゆっくりゆっくりを心がけて上っていく。

22km先だった峠も、残り15km・・・10km・・・と次第に近づいてくる。
相変わらずの強風にはてこずらされるが、ゆっくり行けば問題ない。

走りながら、この調子であれば、明日、サンフランシスコ山の登山に挑戦できるかな・・・などと考えながら進んでいく。

数日分の水18ℓを積み込んでいるので本日もなかなかペダルが重く、後半にはだいぶ太股に疲れが蓄積され来た・・・・「あまり疲れると明日登れないかも・・・」という邪念が出たが、とりあえずは目先のこと。
本日登って、余裕があれば挑戦、余裕が無ければ力量不足であったと諦めよう。

終盤残り5kmぐらいからは平地や軽い下り、そして稀に追い風も吹いてくれ、気持ちよくラストスパート。
残り3kmほどで遠くに峠の看板らしきものが見えた。

最後までゆっくりあせらず、アサもこのサンフランシスコ峠越え全体を通じて一度も手助けを求めることなくすべて自力で上り切ることが出来そうだ。
よく頑張っているな。

ゴールが近づくにつれ、アサは100点満点で良く頑張った、と思う反面、自分自身はアサほどギリギリまで頑張っていないことを強く感じ始める。

やはり明日、アサにはレフヒオでゆっくり休憩してもらっておいて一人で山登りに挑戦しようと心に決める。

11時半前、無事4726mのサンフランシスコ峠に到着。

無事上り切ることが出来るか半信半疑であったので、達成できてうれしい。
これでようやくチャリダーと名乗っても良い権利を得た気がする。

峠の近くのレフヒオに宿泊するため荷物を運び入れると、レフヒオの中に「日本人カップルメリークリスマスfromドイツファミリー」というメッセージとお菓子、クリスマスツリーが!!
アルゼンチン側のイミグレで会話した家族が、僕らがここに来ることを信じて置いておいてくれたようだ。

頑張って上ってきた後にこんなサプライズがあるとは、非常にうれしい、感謝である。
そして明日はクリスマスイブなんだな・・・
イブに無事登頂できるかどうか、不安もあるが、挑戦できる権利が得られたことはうれしい。

お湯を沸かし梅昆布茶をいれ、ほっと一息。
やはりこういう時に日本の味はこころが癒される。
アルゼンチンまで僕らのために日本の調味料など一式を運んでくれた友達に感謝。

昼ごはんとして昨晩作っておいたリゾットを食べ、その後、体を休めるために休憩する。

夕方記念撮影などをしていると、一台のバイクが故障して修理している。
どうやら昨日宿にいた男の子みたいだ。
レフヒオに緊急無線があるけど使う?と尋ねてみたが、もう少し自分で何とかするみたいだ。

ちょうど、高度順応のためにサンフランシスコ火山に登っていた団体が来たので、下に行った際に助けを求めてもらうことに。
彼は昨日から食べ物ももっていない、今も水が無いから分けてほしいなど、自己管理が出来ていない・・・助けに来てくれたバイクに直してもらい下っていった。


晩御飯はパスタにスープ、卵、魚肉ソーセージを入れたもの。

食べた後20時ごろから暖炉に火を起こしていると、アサが明日早いから先寝て良いよ、と言ってくれたので言葉に甘えて寝る。

・・・なんか臭い・・・!!
部屋の中が煙で真っ白に!!
水気の入った木を燃やしてしまったようだ・・・その後始末に1時間ほどかかり、その後就寝。

12月24日
本日の走行距離22km 計8212km
本日はなぜか眠りにつくことがろくに出来ず、寝入ったと思ったら呼吸が出来なくなり目が覚めるということを何度も繰り返した・・・山登り前で気分が高揚しているのが原因かとも思い、ゆっくり深呼吸なども繰り返してみたが、やはり呼吸できない・・・後頭部の鈍痛もあるので、もしかしたら軽い高山病か、風邪かもしれない・・・
とりあえず寝れないのに布団に入っていても仕方が無いので、もう眠ることを諦め1時半に起床する。
外を見ると、半月を少し越えたぐらいの月が明るく地面を照らしていたので、これならばこの時間に出発しても大丈夫なのではなかろうか?と出発を決める。

本来、日が出てからのほうが良いに決まっているのだが、11時間かかるため、6時に出発しても17時までかかってしまうのだ・・・
その点、リスクはあるがこの時間に出発してしまえば12時半に帰ってくることが出来、余裕を持ってラグーナベルデに移動することが出来る。
イタリア人ガイドも「道自体は簡単で迷うことは無い」と言ってたので。

荷物をまとめ、1時半過ぎに出発。アサが目覚めて見送ってくれた際に「無理だけはしないように」と念を押される。

荷物は
・水5・5ℓ
・クッキー
・干しぶどう
・クラッカー
・缶詰
・ヘッドライト
GPS(使っていなかったけど実は持っている)

出発後しばらくはガレ場を車のわだちに沿って歩いていく。
懐中電灯でなんとか見えるかな・・・程度の後だが、昨日遠くから眺めていたのでこの部分は問題ない。
2kmほど歩くと、上り坂になる。
ここも下がゆるかったり、ごつごつした石が転がっていたりと歩きにくいが、まぁ許容範囲。
ペースが上がり過ぎそうなのを、押さえ、呼吸が乱れないペースで進んでいく。
途中から、ヘッドランプの光より月の明かりのほうがルートの判断がしやすいことに気がつき、ヘッドライトを消して月明かりの中を歩く。
空には満天の星、もちろん今ここにいるのは自分だけ。
何ともいえない幸福感を感じながら少しずつ高度を上げていく。

途中、ルートが判別できないような場所もちょこちょこ出始め、その度に数方向をチェックして進んでいく。

ペースは問題ない、寒さは・・・歩いている限りはギリギリ大丈夫、ただ泊まるとすぐに冷える。

1時間半ほどで、レフヒオから見ることの出来る最高度の場所までたどり着く。
たぶん標高は5300ぐらい。

呼吸も乱れないし、足の疲れも無い。「このペースで行けば4時間ぐらいで頂上までたどり着けそうだな」と余裕を感じながら登っていると、急に辺りが暗くなる・・・

地平線を見ると、なんと月が沈んでいる・・・空にはさらに多くの星たちが出現したが、なんと、僕が目指しているサンフランシスコ火山のシルエットも全く見えなくなってしまった・・・

こうなればルートから外れないように慎重に・・・と思った矢先、ルートが突如消える・・・・というか、今までもガレ場の中にある白い溝や足跡らしきものをかろうじて追ってきていたのだが、それが全くわからないほどガレだらけになる・・・・

上下左右、斜めと6方向ぐらいチェックしてみたのだがどこにも跡は無い・・・
悩んでいる間にも体は冷えていく・・・
「水分を取らねば」とペットボトルの水を飲むと・・・凍ってきている・・・この寒さの中、辺りが明るくなるまでの3時間を待つことは不可能だと判断し、最短距離の直登ルートを選択し、ガレを踏みながら道なき道をひたすら登っていく。

が・・・ようやく山頂が見えるようになったと思ったら、山頂との間に崖らしきものがある・・・ヘッドライトで照らしても全く見えないのでそこそこ深いのだろう・・・

この崖を下ってさらに山頂を目指し直登するのは明らかに正しいルートとは異なるが、完全に道を見失っている自分が登頂するには、一番わかりやすい選択肢。

ただ・・・リスクもある。
これが思った以上に急な崖で、ここで転がって落ちたら、きっと誰も見つけてくれないだろう・・・そもそも誰かが来るまでこの寒さに耐え切れそうに無い。

う~む・・・としばし考えた後、右へ右へと迂回路を探しながら進み、見つけられなったら登頂断念も已む無し・・・という苦渋の決断をする。

ここで、僕に万一のことがあったら、待っているアサにどれだけの迷惑をかけるか・・・それに比べれば、登頂できなかったことぐらいは、僕が情けなく感じるだけなのである。

決断した後、まず迂回路を探したが、結局どこまでも崖が続いている・・・崖さえ越えればもう頂は見えているのに・・・・

しかし、迂回路も見つからなかった今、とりあえず出来ることは下ることのみ。
もうすでに道なんてわからずひたすらガレの上を歩いている状態なので、月が出ていたときの地形を思い出し、レフヒオのあるだろう方向へまっすぐ下っていく。

・・・・が、なんか違う。

どうやら道なき道を直登し、迂回路を探し回ったせいで方向感覚が麻痺していたようだ・・・・ヘッドランプをつけても足元のガレをみるのが精一杯で遠くの山の形はわからない・・・

遭難か・・・

とりあえず食料、飲み物は十分に持っているし、太陽が上がるまでのこり2時間ほど、命の危険はほぼ無いと思う。
が・・・この寒さは悠長に2時間待っていられるものではない・・・ここでGPSを取り出し現在の高度を探る。
すると、まだ5000mほどの高度にいるようだ。
レフヒオは4750mなので、とりあえずそのラインまで高度を下げ、あとは平面で探すことに。とりあえず歩き続けなければ凍えてしまう・・・

確信は無いが、多分こっちだという方向に向けひたすら下っていくが、どうも見覚えが無い・・・
「迷ったらその場を動くな」「迷ったら迷った場所まで戻れ」という登山の鉄則はあるが、今回は単独で来ているため、ここから動かなくても誰一人として助けに来てくれる人はいない。
迷った場所まで戻るにも、かなり早い段階で道を見失っているのでどこが迷った場所なのかもわからない・・・

とりあえず今わかっていることは、「現在歩いている場所は今までには歩いていない」「一定以上の時間止まっていると体温が低下してしまう」とのこと。

時刻は5時、日が出るまで1時間。

ここで頭の中を一度整理する。
自転車でアルゼンチンから地理に向け西向きに進んでいた途中に、レフヒオに泊まり、現在そのレフヒオから南の方向に山登りに来ている。

つまり、北に向けて移動すれば何かしらの手がかり(特に道路)にぶつかるはずだ。

との考えから、5時40分ごろから空がうっすら明るくなってきた方向を東と決め、北へ北へと向かうことに。

どうやら先ほど下った道が完全に方向間違えだったようで、ひたすら登り返す羽目に・・・・しかし「北に行けば何とかなる」との思いでヨイショヨイショと登っていく。

一通り登り終えたころ、ようやく太陽の力で景色がはっきりと見えるようになってきた。
すると・・・思ったとおり、北向きに見覚えのある山を発見でき、あとはそちらへ向かってひたすら歩く、眼下にレフヒオらしきものが見え、ようやく無事助かったとほっとする。

最後は500mほど一気にガレ場を下り、元来た道に合流し、7時半にレフヒオに戻る。
えらい目にあった・・・
これだけの労力を使ったら余裕で登頂できてたのでは?と思ってしまうが、もともとの自分の計画の甘さ、というか、自分の力を過信しすぎていたところに今回の原因はあることは目に見えているので、登頂失敗という不名誉&挫折と引き換えに、お灸をすえられたものとして納得しよう。

レフヒオで待っていたアサに事情を説明し、8時半にラグーナベルデへ向けて出発する。
チリ側に入って以来未舗装路が続くと聞いていたが、予想以上の悪路・・・途中、自転車から降りて押さなければならない部分が多く、せっかくの景色を楽しむことが出来ない・・・
なんか面白くないな・・・

登山の疲れもあってペースも上がらず、ラグーナベルデまで下り20kmを3時間近くかけてしまう・・・
ラグーナベルデは確かに綺麗だが思ったほどではないな、とアサに言うと疲れすぎてるからそう感じるだけで十分綺麗だといわれる。

たしかに、自分に余裕がないと景色も楽しめないものだ。

テントを設置し、ここにある温泉に浸かる!!

すると・・・幸せ!!

綺麗な湖、山を見ながら温泉に疲れるなんてなんて優雅なクリスマスイブなんだろう。
2人、久しぶりの露天温泉を満喫。
藻がお湯に浮かんでるぐらい気にもならない。

リラックスした後は昼ね。
そういえば今日はあまり寝ていなかったんだ・・・

気持ちよく昼ねしたあとは足湯したり日記を書いたりしてのんびりすごす。

標高は高いが真夏のチリは、直射日光を浴びると焼けそうに暑いのに、日陰に入ると一気に鳥肌全開・・・この寒暖の差で体調を崩されていく気がする。
夕方から晩御飯作成、本日はツナ醤油マヨネーズのパスタ。
やはり、鉄板の味はうまい。満足のクリスマスイブ飯を食べることが出来た。
下界に下るまであと3日ほど、食材も乏しくなってきたが何とか足りるかな。

食後、お笑いを見てほのぼのとする。

日が暮れかけてきてだいぶ肌寒くなってきた、なんだかんだで本日も標高4300m・・・ちゃんと寝れるかな?

12月25日
本日の走行距離91km 計8303km
6時半起床
昨日は寝袋と薄型寝袋でぐるぐる巻きになって寝たため、わりと暖かく快眠することが出来た。
目覚めてテントを出てすぐ綺麗な湖と山が見えるのは幸せなことだ。

朝食は、珈琲とパウンドケーキ。

7時45分に出発。
本日は出だしからオフロードの上り坂・・・
高度4300mから4600mまでじわじわと上っていく。
相変わらずの道で、時々押しが必要。

起きてすぐはほぼ無風だったのが、次第に向かい風に・・・これは情報どおりで、この道は常に向かい風らしい・・・

道は悪いが景色はよい。
本日も濃い青の空と、さまざまな配色の山々、時折~がいる程度で、風が止んだときには何の音もしない。無音の世界である。

その中、セコセコと漕いでいるアサの息遣いが遠くから聞こえてくる。

25kmほど走り、とりあえず4600mまで上りきり、そこから下り・・・のはずが、相変わらずのオフロードと向かい風(しばしば竜巻も起こっている)のせいでなかなか前に進まない。

なかなかチリ側の道は手ごわいな・・・

体から徐々に体力を削り取られていきながらも、自ら進まなければ誰が手伝ってくれるわけでもないので頑張って漕ぎ続ける。

46kmほどオフロードを走っていて、ふと横を見ると、工事中で通行止めであったメイン通りが舗装路になっている!!

これはありがたい、と舗装路に自転車を移動させ、そこから一気に加速!!
・・・と思いきや、相変わらずの向かい風でなかなか進まない・・・

休憩としてピーナッツとクッキーを食べ、その後再び走り始める。

56kmから待望の下り坂が始まる!!
ようやく漕がなくても進める道になった、高度が下がるにつれ景色も変わってきた、氷河の雪解け水から草が生え、そこに~がやってきている。
なんだか地球の始まりを見た気がする。

その後も、遠くの山々、塩湖、青い湖などの大パノラマを見ながら下る。
相変わらず不思議な色をした山々を眺めつつ、残り15kmほど。

2人とも体力の限界が近く、かなりへばってきている・・・向かい風というものは、ボディブローのように体力を削り取っていくんだな・・・

80kmほど走行すると、遠くになにやら建物が見えてきた・・・最後の力を振り絞り一路建物に向かって漕ぎ続ける。

18時45分、無事チリ側のイミグレーションに到着。
予想していなかった途中からの舗装路に助けられ、無事この時間にたどり着くことが出来たが(19時までらしい)未舗装路のままであればあと1~2時間は漕いでいただろう・・・

警備のおじさんが、ここに泊まって良いよ、と言ってくれ、入国書類、荷物チェック後、ありがたく部屋に入れていただく。
「チリの舞妓さんは知っているか?」とたずねられ、知らないと答えると「チリ人で舞妓になった女性がおり、お金を稼いで帰ってきて云々~」という話をされたが疲れで話も半分しか入ってこない・・・でも感じのよい職員さんばかりで好印象である。
疲れているときに優しい人に対応されると、とても癒される。
マットレス&電源があり僕らには十分。

水もいただき、今晩は米を炊いて
・米
・味噌汁
・卵ふりかけ
・お茶漬け
という”The和”の味で疲弊しきった体を癒す。
本当に救援物資ありがとうございます、という感謝の一言である。
おかげで素敵なクリスマス飯を楽しむことが出来た。

疲れきっているので22時前に就寝。
サンフランシスコ峠の道も終わりが見えてきた。