2016年11月21日月曜日

12月20日~12月25日 2012年



12月20日
本日の走行距離55km 計8039km
4時45分起床
キャンプ場の電気が朝はつかないようなのでもう15分寝て、準備開始。
いよいよ、出発の日であるな。

風邪は完全には治っていないが鼻水程度なのでまぁ大丈夫だろう。

朝食にパンとドゥルセデレチェを食べ、6時半出発。

出発後、町を抜けるまでに1kmちょっと、その後はサンフランシスコ峠に向けての一本道になる。

景色が広大なため、走っても進んでいる気がしないのだが、速度メーターをみると時速10kmちょっとを表示しているので一応進んでいるのだろう。

左手にピンクや薄茶色の岩山群、右手、遠くには通常の岩山群が聳え立っておりその間をひた走っていく。
本日、荷台の上に17ℓの水を積んでいるためか、病み上がりのためか、ペダルが少し重く感じる。
左ひざに少し違和感があるが、峠越えが終わるまでは何とかもってほしい。

序盤戦は斜め後ろからの微風にも助けられ、時速10km前後で進んでいきながら適宜写真を撮る。
すれ違った車旅行者(ドイツ人かな?)が「峠は美しいけど険しいから頑張ってくれ!!」とエールをくれた。

10kmごとに小休憩をいれ、バナナ、トマト、コーラなどを飲みながら進む。

昨日町でチェックした限り、水を買う場所は無いが、途中に一軒あるホテルとキャンプ場、また最悪、近くを流れる川の水も沸かせば飲めそうなので、持参した水は僕の23ℓとアサの3ℓの計26ℓ。
予定では2日目か3日目に補給できるはず・・・まぁどうなるかな?

高度が少しずつ上がるため、思ったよりは暑くならず、日陰に入るとかなり涼しいので数日前のオフロードのような暑さバテは無い。

12時までに42km走り、予定では本日の残り28km。
おにぎりを昼ごはんとして、綺麗な色をした無骨な形の岩山を眺めながら走る。

53kmほど走ると「この先2kmでレフヒオ(避難小屋)あり」のサインを発見する。
ちょうど風向きが変わり正面からの厳しい暴風になっていたので、そこで休憩することに。

しかし・・・たった2kmでも強い風にあおられるとまともに進めない・・・横風の時には対向車線まで押し出されるほど・・・噂どおりの風である。

なんとかレフヒオに到着する。建物内は簡素だが、風や日差しをしのぐためには申し分ない。

風がやむまでの小休憩・・・・のつもりが一向に止む気配が無く、常に向かい風で暴風が吹いている・・・

しばし、休憩していると、日陰のためか集中力が切れたためか、寒気がしてくる・・・まずいな、こんな所で熱が出たら峠が越えられない・・・・

結局、1時間半待っても風が全く止まないので、本日はここに宿泊することに。
昨日作成したそぼろ丼を食べ、風邪薬を飲み2時間ほど昼寝。

起きたら寒気が止まっていたが、あいかわらずの向かい風・・・明日は止んでくれるかな?

20時ごろお湯を沸かし、珈琲を飲む。
夕日が当たる岩山も綺麗である。
こんな静かな場所でのんびり過ごせるなんて本当に贅沢だな。
21時就寝。

12月21日 
本日の走行距離83km 計8122km
6時半起床。
風邪薬のおかげか熟睡でき、体調もましである。
朝から珈琲を沸かし、パンとドゥルセデレチェを食べる。

7時半出発。
でだしに少し上り坂があったがその後はフラットな道が続き、景色を楽しみながら走っているとビクーニャがいたので挨拶すると、クルクルクルクル・・・と返事をしてくれた。

黄緑の草に、薄ピンクやら薄茶色の山肌が鮮やかで、2人そろって大興奮。
やっぱり来てよかったな、今までの2年半、こういう景色を全く見ずに過ごしていたんだな・・・・

1時間で15kmほど走り、レフヒオNo2に到着。
レフヒオのゲストブックを読むと、2ヶ月ほど前に走った人の記載でレフヒオNo1からここまで向かい風の中を進んだら、3時間半もかかったようだ・・・昨日無理しなくて良かった。

小休憩後、20km先にホテルがあり、そこで水分の補充が可能という情報を頼りに、相変わらず絶景で比較的なだらかな道を進んでいく。

11時半ごろホテルに到着。
水はほしいが、ただ貰うのも気が引けるので、1食注文する。
・鶏肉のグリルステーキ
・トマト、たまねぎのサラダ
・パン
で50P(650円)
まぁ、水8ℓほど補充させてもらったのでこのぐらいは払わねば。
ついでにパンを10P分購入させてもらい、良い感じの休憩を取ることが出来た。
ちなみにホテルの宿泊は1人朝食つきで150Pとのこと。
もし、峠越えを断念したらここに泊まることになるだろう。

12時半に出発。

とりあえずレフヒオNo3を目指して進んでいく。
本日は風が斜め後ろから吹いてくるので少し楽に走ることが出来る。

完全な荒野にいるのはビクーニャ、羊、牛が少々とそれらの飼い主?が一人。

ゆっくり走り続け14時過ぎにレフヒオNo3に到着。
本日は、ここで宿泊でも良いかな?と立ち寄ったところ、僕らに続いて車がやってきて、一人のヒッチハイカーを下ろしていった。

ポーランド出身の彼はこれからOro del saladoという山に単独で登りにいくそうだ。
この山の標高は6700m以上・・・そんな高度に単独で!!
とたずねたら、難易度的には難しい山ではないので風と寒さと高山病さえなければ上れるとの事。
入山料もチリ側から登ると200USDなのにアルゼンチン側からは無料らしい。
う~ん・・・ここももう少し早く知っていれば挑戦してみたかったな。
ただ、今回は食料の問題、時間の問題もろもろあるので諦めなければいけない・・・・でも世界には入山料がいらない6000m級の山があるのだな。

彼が出発して行ってから、外は結構強い追い風となる。
これは、この機会に少し進んでおいたほうが良いであろう、と判断し、15km先のレフヒオNo4を目指すことに。

ここまでの道のりははじめ少し下り、そこからじわじわ上るもの。
標高も3500mを越えているので上りになると息が切れる・・・・

しかし、追い風を味方にゆっくり着実に上り続け16時15分、無事レフヒオNo4に到着。
道的にはたいしたことなかったのだが、やはり標高が高い場所で80km以上走行すると、少し疲れる。
できれば峠越えまであまり体力を使わずに進みたいのだが・・・

荷物をレフヒオ内に入れ、さっそく晩御飯。
今日は
・魚肉ソーセージ
・チーズ
・パン
・松茸スープ
スープは日本から持ってきて2年半、そろそろ終盤だしと使ってみたのだが、やはり美味しい。体が安心する味である。
風邪薬を飲み、18時半ごろから日記を書き、20時就寝。

12月22日
本日の走行距離46km 計8168km
6時起床、昨晩も冷え込んだがポーランドの彼は大丈夫だったのだろうか?
珈琲、パン、チーズで朝ごはんを取り7時半に若干の向かい風の中を出発。
本日は出だしから緩やかなのぼりが続く・・・標高3750mを越えているのと、連日の上り坂で足が少し重い・・・風邪による鼻水はしつこく続いているが、熱は出ていないのが助かる。

ロバ、ビクーニャと相変わらずの自然の美しさを楽しみながら少しずつ進んでいく。
20kmほど進み、良い景色の場所でゆで卵を食べる。

さらに10km進み、11時にレフヒオNO5到着し、早めの昼ごはんとしてパン、チーズを食べる。この時点で3950m、いよいよ4000mも近づいてきた。今のところ2人とも高山病の気配は無く順調である。

11時半から再び進み、さらに坂道を上り続けること6kmほどで下り坂に差し掛かる。
ここからは見え隠れする山々の頭を見ながら下っていく、と・・・遠くの小屋に人だかりが・・・なにやら手招きされるので寄ってみたらビクーニャの毛刈りを行っていた。
手足を縛られ体を押さえつけられた状態で毛を刈られていたビクーニャ達の中には恐ろしさで失禁しているものもいた・・・怖いだろうな。

一匹、毛を刈られている状態から果敢に飛び出して逃げ切った勇者もいた。
そんな様子を見学していたら、毛刈りのおじさんが「この毛を日本に売りたいんだがどうだと思う?」と尋ねてきたので「ビクーニャの毛自体はアルゼンチンより高く売れると思うが、輸出にかかる税がどれぐらいかかるのかわからないので何とも言えない・・・」と答えておいた。

その後も下り続けると、今まで頭の部分しか見えていなかったインカワシ、サンフランシスコ山の全景が見えてきた。
インカワシは名前もなんだか格好良いが、見た目、特に色が今まで見てきた山とは全く違う色使いでものすごく魅了された。
山単体の格好良さでは歴代1位かもしれない。

山を見ながら下るとアルゼンチンのイミグレーションに到着。
スタンプを貰い、その後「荷物チェックをするから待っててくれ」といわれて待っていたら団体客がやってきたので「もう行って良いよ」と言われる。

13時半に有料レフヒオに到着。
本日はここに宿泊、シャワー、洗濯を終え、電子機器の充電と、水の補充等終わらせ、キッチンがあったので少し早めの晩御飯。
インスタントのリゾットに大蒜チップ、チーズ、魚肉ソーセージを加えたものに、細麺パスタを嵩増しのために加える。

腹いっぱい食べた後、管理人のおじさんと話していると、6700mほどのインカワシは少なくとも2~3日かかるが6100mほどのサンフランシスコ山は麓にテントを張り、早朝に出発すれば日帰りも可能との事。ただ、風も強いし、高山病になることもあるから数日の高地順応は必要だろうとのこと。

夕方のんびりしていると、ひとつのアイデアが浮かぶ。
それは明日サンフランシスコ峠を越えてラグーナベルデで一泊した後、チリに抜けずにもう一度峠を上り返してアルゼンチン側に戻り、来た道を下り、アグアネグラ峠の方まで南下するというもの。
というのも、ラグーナベルデを越えて以降チリ側に美しい場所があるという話も聞かないし、あまりチリに興味もない。
同じ道を戻るにしても常に絶景だし、下りきった後、国立公園などを巡りながらアグアネグラ峠に向かうことが出来る今回のアイデアは良いのではないだろうか?
夕方、イミグレーションの職員に出国スタンプを貰ったが、チリに抜けずにまた戻ってきても良いかを尋ねてみよう。

日記を書き、18時よりイミグレに出向き上記の件を確認したのだが、結果NG・・・・やはり、いったんスタンプを貰ってしまったらチリのスタンプを貰ってからではないとアルゼンチンには入れないとの事・・・まぁ仕方ない。

明日の弁当兼晩御飯作りをしていると、イタリア人のツアーガイドがやってきたので世間話をしていると、このあたりの山は高度があるわりに、比較的登攀技術を必要としないとのこと。
明日、うちらが越える予定のサンフランシスコ峠近くにあるサンフランシスコ山の難易度を確認すると、前日に4700mのレフヒオまで移動しておいてスタートすれば、順調に行けば往復11時間ぐらいで可能は可能とのこと。
ただ、高地順応が出来ているかは大切とのこと。
う~む・・・高地順応できているかはさておき、毎日上り坂で太股筋が疲弊している状態での挑戦はさすがに無謀か・・・しかし・・6000m以上の山に単独で登れるのは(アサは置いていく)これが最初で最後のチャンスかもしれない・・・

挑戦してみて無理だったら無理で仕方が無い、行ってみたいな・・・
ただ、問題点として
1、4700mのレフヒオが見つかるか
2、そのレフヒオで一夜明かせるか(寒さが心配)
3、僕が登っている間アサをレフヒオで11時間待たせることになる
4、登って疲弊しきった体でこの先チリまで走りきることが出来るのか
5、単独行となると、道のりもペースもすべて自分次第
というものがある。
3はアサの同意も得られ、4ははっきり言って自分の頑張り次第、出来る出来ないで無く挑戦するからには責任を持って最後までやり遂げなければならない。
2は・・・なんとかなるかな・・・
問題は1と5か・・
1は見つからなかったら縁が無かったとして諦めるほか無いとして、5は・・・こちらの山に親切な案内などあるはずも無く、ガイドの話で「始め左のほうへ、途中から右のほうへ、その後頂上に見える場所があるがそこがピークではなく、そのさらに奥」との雑な情報を貰ったのみ・・・・不安・・・

しかし、それも無理だと思えば諦めて下ればいいことだ、問題は、諦め時・・・

う~む、サンフランシスコ峠を越えてもいないのにすでにほかの事に目移りしてしまっているな・・・

まぁ、明日の成り行きですべて考えることとしよう。

夜なかなか寝付けなかった・・・おそらく6000m峰に単独で挑戦できるかもしれないという考えに興奮したのだろう。
これほどわくわくできることはめったにないので、登れる登れないに関わらず、この高揚感がもてたことに感謝。


12月23日
本日の走行距離22km 計8190km
6時起床
珈琲とパンで朝ごはんを終え、出発準備をしていると、イタリア人ガイドも起きてきたのでしばし会話。
かれは冬山登山のガイドやら何やら大変な仕事を多くする代わりに、年に半分ほどはホリデーをもらっているとのこと。
仕事はかなり責任重大だけどなかなか素敵な人生だな。
7時半出発。
いよいよサンフランシスコ峠越えだ!!

出だしから緩やかな上り坂、そしてまずまず強い向かい風・・・時速6km程度で進み、風が強いのでアサを背後にぴったりと付かせ風除けに。

本日はペース配分を心がけ、後ろについているアサの呼吸に応じてペースを調整。
ときおり、風が弱くなったときに写真を撮り、その後は時速4~7kmでジリジリと進む。

ここまでこれたから基本的に高山病の心配は無さそうなので、あとは無理せずゆっくりと進んでいく。
風邪を引いていたのがだいぶ良くなったからか、個人的にはゆっくりペースであれば息が切れることもあまりない、ただ、アサはけっこうたいへんそうだ・・・

僕がペースを上げるとアサのペースを乱すので、ゆっくりゆっくりを心がけて上っていく。

22km先だった峠も、残り15km・・・10km・・・と次第に近づいてくる。
相変わらずの強風にはてこずらされるが、ゆっくり行けば問題ない。

走りながら、この調子であれば、明日、サンフランシスコ山の登山に挑戦できるかな・・・などと考えながら進んでいく。

数日分の水18ℓを積み込んでいるので本日もなかなかペダルが重く、後半にはだいぶ太股に疲れが蓄積され来た・・・・「あまり疲れると明日登れないかも・・・」という邪念が出たが、とりあえずは目先のこと。
本日登って、余裕があれば挑戦、余裕が無ければ力量不足であったと諦めよう。

終盤残り5kmぐらいからは平地や軽い下り、そして稀に追い風も吹いてくれ、気持ちよくラストスパート。
残り3kmほどで遠くに峠の看板らしきものが見えた。

最後までゆっくりあせらず、アサもこのサンフランシスコ峠越え全体を通じて一度も手助けを求めることなくすべて自力で上り切ることが出来そうだ。
よく頑張っているな。

ゴールが近づくにつれ、アサは100点満点で良く頑張った、と思う反面、自分自身はアサほどギリギリまで頑張っていないことを強く感じ始める。

やはり明日、アサにはレフヒオでゆっくり休憩してもらっておいて一人で山登りに挑戦しようと心に決める。

11時半前、無事4726mのサンフランシスコ峠に到着。

無事上り切ることが出来るか半信半疑であったので、達成できてうれしい。
これでようやくチャリダーと名乗っても良い権利を得た気がする。

峠の近くのレフヒオに宿泊するため荷物を運び入れると、レフヒオの中に「日本人カップルメリークリスマスfromドイツファミリー」というメッセージとお菓子、クリスマスツリーが!!
アルゼンチン側のイミグレで会話した家族が、僕らがここに来ることを信じて置いておいてくれたようだ。

頑張って上ってきた後にこんなサプライズがあるとは、非常にうれしい、感謝である。
そして明日はクリスマスイブなんだな・・・
イブに無事登頂できるかどうか、不安もあるが、挑戦できる権利が得られたことはうれしい。

お湯を沸かし梅昆布茶をいれ、ほっと一息。
やはりこういう時に日本の味はこころが癒される。
アルゼンチンまで僕らのために日本の調味料など一式を運んでくれた友達に感謝。

昼ごはんとして昨晩作っておいたリゾットを食べ、その後、体を休めるために休憩する。

夕方記念撮影などをしていると、一台のバイクが故障して修理している。
どうやら昨日宿にいた男の子みたいだ。
レフヒオに緊急無線があるけど使う?と尋ねてみたが、もう少し自分で何とかするみたいだ。

ちょうど、高度順応のためにサンフランシスコ火山に登っていた団体が来たので、下に行った際に助けを求めてもらうことに。
彼は昨日から食べ物ももっていない、今も水が無いから分けてほしいなど、自己管理が出来ていない・・・助けに来てくれたバイクに直してもらい下っていった。


晩御飯はパスタにスープ、卵、魚肉ソーセージを入れたもの。

食べた後20時ごろから暖炉に火を起こしていると、アサが明日早いから先寝て良いよ、と言ってくれたので言葉に甘えて寝る。

・・・なんか臭い・・・!!
部屋の中が煙で真っ白に!!
水気の入った木を燃やしてしまったようだ・・・その後始末に1時間ほどかかり、その後就寝。

12月24日
本日の走行距離22km 計8212km
本日はなぜか眠りにつくことがろくに出来ず、寝入ったと思ったら呼吸が出来なくなり目が覚めるということを何度も繰り返した・・・山登り前で気分が高揚しているのが原因かとも思い、ゆっくり深呼吸なども繰り返してみたが、やはり呼吸できない・・・後頭部の鈍痛もあるので、もしかしたら軽い高山病か、風邪かもしれない・・・
とりあえず寝れないのに布団に入っていても仕方が無いので、もう眠ることを諦め1時半に起床する。
外を見ると、半月を少し越えたぐらいの月が明るく地面を照らしていたので、これならばこの時間に出発しても大丈夫なのではなかろうか?と出発を決める。

本来、日が出てからのほうが良いに決まっているのだが、11時間かかるため、6時に出発しても17時までかかってしまうのだ・・・
その点、リスクはあるがこの時間に出発してしまえば12時半に帰ってくることが出来、余裕を持ってラグーナベルデに移動することが出来る。
イタリア人ガイドも「道自体は簡単で迷うことは無い」と言ってたので。

荷物をまとめ、1時半過ぎに出発。アサが目覚めて見送ってくれた際に「無理だけはしないように」と念を押される。

荷物は
・水5・5ℓ
・クッキー
・干しぶどう
・クラッカー
・缶詰
・ヘッドライト
GPS(使っていなかったけど実は持っている)

出発後しばらくはガレ場を車のわだちに沿って歩いていく。
懐中電灯でなんとか見えるかな・・・程度の後だが、昨日遠くから眺めていたのでこの部分は問題ない。
2kmほど歩くと、上り坂になる。
ここも下がゆるかったり、ごつごつした石が転がっていたりと歩きにくいが、まぁ許容範囲。
ペースが上がり過ぎそうなのを、押さえ、呼吸が乱れないペースで進んでいく。
途中から、ヘッドランプの光より月の明かりのほうがルートの判断がしやすいことに気がつき、ヘッドライトを消して月明かりの中を歩く。
空には満天の星、もちろん今ここにいるのは自分だけ。
何ともいえない幸福感を感じながら少しずつ高度を上げていく。

途中、ルートが判別できないような場所もちょこちょこ出始め、その度に数方向をチェックして進んでいく。

ペースは問題ない、寒さは・・・歩いている限りはギリギリ大丈夫、ただ泊まるとすぐに冷える。

1時間半ほどで、レフヒオから見ることの出来る最高度の場所までたどり着く。
たぶん標高は5300ぐらい。

呼吸も乱れないし、足の疲れも無い。「このペースで行けば4時間ぐらいで頂上までたどり着けそうだな」と余裕を感じながら登っていると、急に辺りが暗くなる・・・

地平線を見ると、なんと月が沈んでいる・・・空にはさらに多くの星たちが出現したが、なんと、僕が目指しているサンフランシスコ火山のシルエットも全く見えなくなってしまった・・・

こうなればルートから外れないように慎重に・・・と思った矢先、ルートが突如消える・・・・というか、今までもガレ場の中にある白い溝や足跡らしきものをかろうじて追ってきていたのだが、それが全くわからないほどガレだらけになる・・・・

上下左右、斜めと6方向ぐらいチェックしてみたのだがどこにも跡は無い・・・
悩んでいる間にも体は冷えていく・・・
「水分を取らねば」とペットボトルの水を飲むと・・・凍ってきている・・・この寒さの中、辺りが明るくなるまでの3時間を待つことは不可能だと判断し、最短距離の直登ルートを選択し、ガレを踏みながら道なき道をひたすら登っていく。

が・・・ようやく山頂が見えるようになったと思ったら、山頂との間に崖らしきものがある・・・ヘッドライトで照らしても全く見えないのでそこそこ深いのだろう・・・

この崖を下ってさらに山頂を目指し直登するのは明らかに正しいルートとは異なるが、完全に道を見失っている自分が登頂するには、一番わかりやすい選択肢。

ただ・・・リスクもある。
これが思った以上に急な崖で、ここで転がって落ちたら、きっと誰も見つけてくれないだろう・・・そもそも誰かが来るまでこの寒さに耐え切れそうに無い。

う~む・・・としばし考えた後、右へ右へと迂回路を探しながら進み、見つけられなったら登頂断念も已む無し・・・という苦渋の決断をする。

ここで、僕に万一のことがあったら、待っているアサにどれだけの迷惑をかけるか・・・それに比べれば、登頂できなかったことぐらいは、僕が情けなく感じるだけなのである。

決断した後、まず迂回路を探したが、結局どこまでも崖が続いている・・・崖さえ越えればもう頂は見えているのに・・・・

しかし、迂回路も見つからなかった今、とりあえず出来ることは下ることのみ。
もうすでに道なんてわからずひたすらガレの上を歩いている状態なので、月が出ていたときの地形を思い出し、レフヒオのあるだろう方向へまっすぐ下っていく。

・・・・が、なんか違う。

どうやら道なき道を直登し、迂回路を探し回ったせいで方向感覚が麻痺していたようだ・・・・ヘッドランプをつけても足元のガレをみるのが精一杯で遠くの山の形はわからない・・・

遭難か・・・

とりあえず食料、飲み物は十分に持っているし、太陽が上がるまでのこり2時間ほど、命の危険はほぼ無いと思う。
が・・・この寒さは悠長に2時間待っていられるものではない・・・ここでGPSを取り出し現在の高度を探る。
すると、まだ5000mほどの高度にいるようだ。
レフヒオは4750mなので、とりあえずそのラインまで高度を下げ、あとは平面で探すことに。とりあえず歩き続けなければ凍えてしまう・・・

確信は無いが、多分こっちだという方向に向けひたすら下っていくが、どうも見覚えが無い・・・
「迷ったらその場を動くな」「迷ったら迷った場所まで戻れ」という登山の鉄則はあるが、今回は単独で来ているため、ここから動かなくても誰一人として助けに来てくれる人はいない。
迷った場所まで戻るにも、かなり早い段階で道を見失っているのでどこが迷った場所なのかもわからない・・・

とりあえず今わかっていることは、「現在歩いている場所は今までには歩いていない」「一定以上の時間止まっていると体温が低下してしまう」とのこと。

時刻は5時、日が出るまで1時間。

ここで頭の中を一度整理する。
自転車でアルゼンチンから地理に向け西向きに進んでいた途中に、レフヒオに泊まり、現在そのレフヒオから南の方向に山登りに来ている。

つまり、北に向けて移動すれば何かしらの手がかり(特に道路)にぶつかるはずだ。

との考えから、5時40分ごろから空がうっすら明るくなってきた方向を東と決め、北へ北へと向かうことに。

どうやら先ほど下った道が完全に方向間違えだったようで、ひたすら登り返す羽目に・・・・しかし「北に行けば何とかなる」との思いでヨイショヨイショと登っていく。

一通り登り終えたころ、ようやく太陽の力で景色がはっきりと見えるようになってきた。
すると・・・思ったとおり、北向きに見覚えのある山を発見でき、あとはそちらへ向かってひたすら歩く、眼下にレフヒオらしきものが見え、ようやく無事助かったとほっとする。

最後は500mほど一気にガレ場を下り、元来た道に合流し、7時半にレフヒオに戻る。
えらい目にあった・・・
これだけの労力を使ったら余裕で登頂できてたのでは?と思ってしまうが、もともとの自分の計画の甘さ、というか、自分の力を過信しすぎていたところに今回の原因はあることは目に見えているので、登頂失敗という不名誉&挫折と引き換えに、お灸をすえられたものとして納得しよう。

レフヒオで待っていたアサに事情を説明し、8時半にラグーナベルデへ向けて出発する。
チリ側に入って以来未舗装路が続くと聞いていたが、予想以上の悪路・・・途中、自転車から降りて押さなければならない部分が多く、せっかくの景色を楽しむことが出来ない・・・
なんか面白くないな・・・

登山の疲れもあってペースも上がらず、ラグーナベルデまで下り20kmを3時間近くかけてしまう・・・
ラグーナベルデは確かに綺麗だが思ったほどではないな、とアサに言うと疲れすぎてるからそう感じるだけで十分綺麗だといわれる。

たしかに、自分に余裕がないと景色も楽しめないものだ。

テントを設置し、ここにある温泉に浸かる!!

すると・・・幸せ!!

綺麗な湖、山を見ながら温泉に疲れるなんてなんて優雅なクリスマスイブなんだろう。
2人、久しぶりの露天温泉を満喫。
藻がお湯に浮かんでるぐらい気にもならない。

リラックスした後は昼ね。
そういえば今日はあまり寝ていなかったんだ・・・

気持ちよく昼ねしたあとは足湯したり日記を書いたりしてのんびりすごす。

標高は高いが真夏のチリは、直射日光を浴びると焼けそうに暑いのに、日陰に入ると一気に鳥肌全開・・・この寒暖の差で体調を崩されていく気がする。
夕方から晩御飯作成、本日はツナ醤油マヨネーズのパスタ。
やはり、鉄板の味はうまい。満足のクリスマスイブ飯を食べることが出来た。
下界に下るまであと3日ほど、食材も乏しくなってきたが何とか足りるかな。

食後、お笑いを見てほのぼのとする。

日が暮れかけてきてだいぶ肌寒くなってきた、なんだかんだで本日も標高4300m・・・ちゃんと寝れるかな?

12月25日
本日の走行距離91km 計8303km
6時半起床
昨日は寝袋と薄型寝袋でぐるぐる巻きになって寝たため、わりと暖かく快眠することが出来た。
目覚めてテントを出てすぐ綺麗な湖と山が見えるのは幸せなことだ。

朝食は、珈琲とパウンドケーキ。

7時45分に出発。
本日は出だしからオフロードの上り坂・・・
高度4300mから4600mまでじわじわと上っていく。
相変わらずの道で、時々押しが必要。

起きてすぐはほぼ無風だったのが、次第に向かい風に・・・これは情報どおりで、この道は常に向かい風らしい・・・

道は悪いが景色はよい。
本日も濃い青の空と、さまざまな配色の山々、時折~がいる程度で、風が止んだときには何の音もしない。無音の世界である。

その中、セコセコと漕いでいるアサの息遣いが遠くから聞こえてくる。

25kmほど走り、とりあえず4600mまで上りきり、そこから下り・・・のはずが、相変わらずのオフロードと向かい風(しばしば竜巻も起こっている)のせいでなかなか前に進まない。

なかなかチリ側の道は手ごわいな・・・

体から徐々に体力を削り取られていきながらも、自ら進まなければ誰が手伝ってくれるわけでもないので頑張って漕ぎ続ける。

46kmほどオフロードを走っていて、ふと横を見ると、工事中で通行止めであったメイン通りが舗装路になっている!!

これはありがたい、と舗装路に自転車を移動させ、そこから一気に加速!!
・・・と思いきや、相変わらずの向かい風でなかなか進まない・・・

休憩としてピーナッツとクッキーを食べ、その後再び走り始める。

56kmから待望の下り坂が始まる!!
ようやく漕がなくても進める道になった、高度が下がるにつれ景色も変わってきた、氷河の雪解け水から草が生え、そこに~がやってきている。
なんだか地球の始まりを見た気がする。

その後も、遠くの山々、塩湖、青い湖などの大パノラマを見ながら下る。
相変わらず不思議な色をした山々を眺めつつ、残り15kmほど。

2人とも体力の限界が近く、かなりへばってきている・・・向かい風というものは、ボディブローのように体力を削り取っていくんだな・・・

80kmほど走行すると、遠くになにやら建物が見えてきた・・・最後の力を振り絞り一路建物に向かって漕ぎ続ける。

18時45分、無事チリ側のイミグレーションに到着。
予想していなかった途中からの舗装路に助けられ、無事この時間にたどり着くことが出来たが(19時までらしい)未舗装路のままであればあと1~2時間は漕いでいただろう・・・

警備のおじさんが、ここに泊まって良いよ、と言ってくれ、入国書類、荷物チェック後、ありがたく部屋に入れていただく。
「チリの舞妓さんは知っているか?」とたずねられ、知らないと答えると「チリ人で舞妓になった女性がおり、お金を稼いで帰ってきて云々~」という話をされたが疲れで話も半分しか入ってこない・・・でも感じのよい職員さんばかりで好印象である。
疲れているときに優しい人に対応されると、とても癒される。
マットレス&電源があり僕らには十分。

水もいただき、今晩は米を炊いて
・米
・味噌汁
・卵ふりかけ
・お茶漬け
という”The和”の味で疲弊しきった体を癒す。
本当に救援物資ありがとうございます、という感謝の一言である。
おかげで素敵なクリスマス飯を楽しむことが出来た。

疲れきっているので22時前に就寝。
サンフランシスコ峠の道も終わりが見えてきた。

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