2012年8月16日木曜日

危険なクーラー→今幸せである→目的地が遠のいていく→マケドニアの結婚式


811
本日の走行距離91km 計3340km

7時半起床。
クーラーをつけて寝たため快眠を得ることができたが体は鉛のように重い・・・

クーラーというものはジワジワと人の体をダメにする近代兵器なのかもしれない。

本日は朝食がついているので食堂に降りていくとマキアート、パン、オムレツのシンプルブレックファーストが待っていた。卵3個ほど使った立派なオムレツの中にハムステーキが挟まれていて「美味しいなぁ・・・」と感慨深く食べる。

ドイツ→スイス→イタリア→オーストリア→スロベニア→クロアチアのヨーロッパ圏では「外食なんて・・・」という生活を送っていたのに、立派なホテルでクーラー、TVWIFI、そして朝ごはん付きの優雅な生活を送れるようになったのは物価が下がってくれたおかげだろう。宿泊費20Eも先進国のキャンプ場よりずっと安い。今僕らはとても幸せである。

大満足の朝食後、すぐさま出発予定があまりにも快適な部屋なので9時半までゴロゴロとTVを見ながら過ごす。

予定では本日は30km先のKocaniまでの短い移動なので余裕なのである。

10時前に出発し、マケドニアで出しそびれていたハガキを本日中に出しておこうと、坂道を1・5km程下り郵便局へ。
ハガキが売っていなかったのでスロベニアのキャンプ場でもらったハガキを出しておくことに。

これにて”訪れたすべての国から家にハガキを出す”というアサの野望が継続となった。

再び坂道を上ってホテルの方に戻り、10時過ぎにようやく出発。
本日は出だしは穏やかな道、気温もここ数日低いようで(といっても40度近く)気持ちよく走ることができる。

特に何の問題も感慨も無いまま12時半頃Kocaniに到着。

ホテル情報を聞くためにカフェで昼ごはんを食べることに。
僕は豚肉のステーキ(店員さんは説明で豚肉のビフテキと言っていたが、ビフテキはビーフステーキの略では無いのだろうか?)130D200円)アサはカプチーノ50D80円)

まずまずの味で、満足したあと、宿泊地情報を聞くと、「30km先のKamenicaの町にも一人10Eぐらいで宿泊できる宿がある」とのこと。

本日はまだ余力があるのでこの貴重な情報の町まで進んでみることに。
でもその前に商店で買い出し。
バナナ、ソーダ、シリアルクッキーを購入しようとレジに行くと、見知らぬおじさんが横から「そのバナナは僕からのおごりだよ」とお金を払ってくれた。
なんだ、この夜のBARでお嬢さんにお酒をご馳走するようなさりげなさは!!

「ありがとう」と言うと、「僕も自転車乗りなんだよ、山専門だけどね」とのこと。
自転車仲間のこうしたつながりは本当にありがたい。

最近、ドイツ、スイス、イタリアのように自転車乗りの人を見ることが減った分、余計にこうした出会いが嬉しくなる。

そしてKamenicaに向けて出発。
インターネットのBikemapで調べた情報ではしばし上りとのことだったが、かなり緩めの上りに加え、曇り空であったためスムーズに進んでいくことができた。

途中、野宿スポットも多々見つけたが、マケドニアのお金もまだ少し余っているし、マケドニア最終日なので優雅に過ごすことに。

Kamenicaの町につき、住民にモーテルがあるか確認すると「前まではあったけど、潰れたと思うよ・・・」とのこと。

・・・・困った・・・

困ったので作戦会議のためカフェに入ろうと大通りを左折しようとすると、工事現場のお兄ちゃん達が一斉に「No No!!そっちじゃないぞ~!!」というニュアンスで声をかけてくれた。
振り向くと「ブルガリアはあっちだ!!」と教えてくれている。
どうやらこの町はブルガリアに向かう経由地のようで旅行者はほぼブルガリアに行くのだろう。
工事現場の人たちにお礼を言い、カフェに入る。

すると突然豪雨になる・・・カフェに入った後で良かった。

腰を落ち着けてカフェ休憩しつつ作戦会議。

結果20km先の次の町まで進むことに。

雨が落ち着いたあと出発し2kmほど進むと再び雨・・・すると丁度良い小屋が見つかったので20分ほど雨をしのぐ。

雨が止んだと同時に再び出発し、坂道を下り、のどかな川沿いを走り続ける。
蜂蜜の収集をしている人や山羊たちを護衛する犬などを見ながら18時前にDelcevoに到着。

ガソリンスタンドでモーテルがあるか尋ねるとお客さんの一家が「車で先導するからついてきなさい」とのこと。

ありがたい・・・が、着いていけるかな?
アサは残りの体力を振り絞り無事ホテルに到着。

が・・・高そう・・・
値段を確認すると34E・・・・払えなくはないが払いたくない金額である。

ので、違う宿を確認すると2km先に一つあるとのこと。
スーパーで1・5ℓビールとつまみを買出し後そこまでさらに走る。

18時過ぎに到着、値段は晩御飯と朝食込みで一人10Eとのこと。
これはありがたい、と宿泊を決定し、すべての荷物を4階までせっせと運び、自転車は小屋に入れてもらう。

部屋は3ベッドにトイレシャワーなのだが、広さは日本で人家族が住むマンションほどあった。土地が余ってるんだろうな。

20時になり晩御飯を食べに下に降りたところ、広間で結婚式の披露宴をしていた。

あぁ、きっとパーティーの残り物を晩御飯として出してくれるのだろう、と思い、外から従業員のおじさんを呼ぶと「君らも中に入ってきなさい!!」と言われる。

いやいや、「人の結婚式に部外者が勝手にはちょと・・・」と断ったのだが、「早く早く!!」と言われ入っていくと、僕ら用の机も準備され、新郎、新婦の写真も撮らされる。

その後、結婚式の前菜のサラミ、チーズ、野菜を食べながら出されたファンタとビールを飲む。
結婚式は、荘厳な前半戦を既に終えたようでライブミュージックに合わせたダンスタイムが始まっていた。
結婚式に参加するのはタンザニア以来なのだが、主役の新郎、新婦をほぼ無視でダンスに興じるのはアフリカと同じようである。

延々同じリズムでフォークダンスの要領で踊り続けるのがマケドニア流のよう。
僕らからすると同じ行為を繰り返しているだけのようだが、盛り上がる曲では人が増え、そうでない曲の時には休憩する人が増えるので若干違うのだろう。

しばし皆の踊りを眺めながら酒を飲み、コールスローと、蒸し芋的なものを食べながら、「一体、今自分たちは何をしているのだろう???」と不思議な気分になる。

21時を過ぎ、眠くなってきたのでこの後たぶん出てくるであろうメインとケーキは諦めて引き上げる。
部屋で残ったビールを飲みながら日記を書く。なんだかよくわからない日だがそれはそれで楽しいものだ。明日はブルガリア、楽しみだ。

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