10月15日
本日の走行距離68km 計6372km
7時起床。
吐き気は無事収まっていた。ありがとう胃袋。君の友情に応えるためにもしばなくは飲みすぎないように心がけます。
アリエルも起きていたがグロッキーぎみ・・・アサは完全に二日酔い・・・こうまでして飲む酒とはいったい何ぞや??
トルコでおっちゃん達とほのぼのチャイを飲んでいた時間が懐かしく感じる。
負担をかけないためにも早く出発しよう、と準備後、挨拶して出発しようとすると「コーヒー飲んでいけ!!」とのこと。
おもてなしの心は感謝ですが大丈夫かい?アリエル。
誰か知らない美人の女性がキッチンにいたが隣の家の女の子でアリエルが小さい時面倒見たとのこと、それ以上詳しいことは言語力的に聞けず。
9時頃出発
アサが二日酔いでペース上がらないが平地+追い風で助かる。
街を抜けるまでチョコチョコと小学生から「ハロー!!」の声が聞こえる。グルジアでも昨今英語教育に力を入れているとのことだ。
脱走防止のためか首に三角の足かせ(首枷???)をつけられた豚が不憫だがかわいらしく歩いている。
彼らの姿を見ながら
「40歳で死ぬ(食べられる)としてもそれまで働かなくても3食困らない生活を過ごせるとしたら幸せなのだろうか?」と想像してみたがやっぱり嫌だな・・・という結論で終わる。
じゃあ性欲は?睡眠欲は?
など考えたが、世界中の美人の女性と毎日性的快楽を貪ることができたとしても、それだけではきっと幸せではないだろうし、旅を一生できてもそれだけでは幸せでは無い気がする・・・・そうすると自分の人生の幸せとはなんぞや???という旅人が考えてしまうような基本的な問題をぼんやりと考えてしまった。
どれが?と限定することにまず無理があるんだな、きっとあれも欲しいし、これも欲しいのが自分であり、今までの経験則的にすべてを欲しいだけ手に入れることは難しいこともしっているので、ようは優先順序の付け方なのだと思う。
じゃあこれから一番になりうるものは??と考えると、やはりそれはほぼ確定できている気がする。ただ、それとほかの事(欲望)との同時進行が忙しい日本ではなかなか難しいんだよな・・・だけど今のところは日本に帰りたいし、一体どうしたものか??とりあえず早く旅に飽きてくれると日本での生活が比較的しやすくなるので、まずは満足して旅を終える日が来るように今の生活を楽しもう。(ただ、満足したいような満足したくない気持ちにあることも事実)
20kmでZugdidiに着き、商店でチーズとパントマトりんごを買い、店の前のテーブルでしばし休憩。アサは二日酔いで食欲皆無・・・なので僕が食べる間、アサはぐったりと寝ている・・・
30分休憩し出発。
その間通り過ぎる人は、僕らに話しかけることはないが愛車の自転車君たちの構造を興味深そうにしげしげと眺めていっていた。
休憩後、本日も家畜が歩き回るのどかな土地を遥か遠くにそびえる山脈目指してひたすら進む。
芝生いっぱいで、どこでもゴロゴロできそうなのだが、全て私有地のようで休憩場所が意外とない・・・芝生でゴロゴロしたかったのだが渋々走り続けることに。
グルジアの家の庭は非常に大きく果物を栽培している人が多いのだが、彼らの家の前を通りすぎると手招きしてくれたりする。本日もお梨や柿などを頂いてしまった。
トルコに引き続き、グルジアでもお接待が多い。
さらに進み、商店の裏のテーブルで休憩させてもらうことに。キュウイフルーツの木が藤棚のように日陰を作り出してくれ、心地よい。
もらいすぎて重量の重くなった柿を消費しておこうとセッセと食べ、剥いた皮は豚に与える。掃除機のように使える奴らである。
Jvariの村はすぐ着いたのだが確認してもホテルらしきものはなさそう・・・次にあるのはメスティアと言われる・・・100km先か・・・しかも峠道・・・次のベッドは2日後かな。
仕方がないので芝生の上に御座を敷き、もう少し走るだけの体力を回復するべく小休憩。アサはガッツリ昼寝。
その間、まだ10個ほどある柿を処分するため3個ほど食べていると、死神のような大釜を持った耳の潰れたおじいさんがやってきて「メスティアまでは急な坂道だぞ・・・バイクだったらなぁ・・・・」とくどいほど言われる。(言われてもどうなるもんでもないのだ)
勝手に僕らの御座に腰を下ろし、理解できないグルジア語をまくし立てる死神・・・袋からゴソゴソと柿を3個取り出し、プレゼントしてくれたのでいい人ではあるようだ。(後でアサが食べたらとてつもなく渋かったようだ・・・)
「バイクだったらなぁ・・・」と言われ続けているところに、子供ら2名がやって来た。
しかし手には5つの柿・・・消費しきりません・・・・が、子供の優しさを踏みにじるのも心が痛むのでいただく。
「水もいる?」と優しく言ってくれたのでありがたくもらい、英語教育を受けている彼らと「名前は何?」などの簡単な英語トークをした後、とりあえず野宿地を探すため山の中まで走ってみようとペダルを漕ぎ出すと、商店の前で少しだけ英語のできるおじさんに声をかけられる。
話を聞くと、彼は詩人のようで、東日本大震災の歳には心を痛め、自作の詩を日本に宛てて送ってくれたようだ。
「その詩を聞いて欲しい」と彼の家に招待され、英語の詩を聞く・・・が、詩に使うような単語は僕らのボキャブラリーに入っていないので全部は理解できず・・・
虹のように奇跡的な復興をみたいなことが書いてあった。
その後、「小さなプレゼントだ!!」とワインをもらう・・・・ずしりと重いです。
すでに日暮れまで2時間ほどなので野宿場所探し出発。坂道を10kmほど進むとようやく最高ではないが最悪でもない野宿場所を発見。
時間が少し早いし、丸見えなのでしばし付近にあったダムをみながら柿を食べる。
すると観光スポットなのか車でやって来る輩が・・・彼らは車を降りて酒盛りをしはじめた・・・・
酔っぱらいが近くにいる中の野宿は面倒なので、「彼らが去ってからテントを張ろう」とアサに提案するが、いつも通りの論理的確証のない「大丈夫やって!!」というアサの言葉に「面倒なことにあったら場所移動しないといけないよ」と釘を刺して、渋々テントを張る。
テントを設置し始めると、先ほどの酔っぱらいたちが車を発進させはじめた!!
ようやく帰ってくれるのかな?と思いきや、僕らがテントを立てている様子をじっと車内から伺っている・・・
相手の出方を確認しようと作業を中断し、10分ほど待つが、その間も車を動かす気配はない・・・
少し前にロシアで野宿中の男性が複数の男達に殺害された事件もあるので、面倒だがこの場は諦めてほかの場所を探すことに。
坂道を2~3km野宿場所を探しながら上るが、なかなか無いな・・・一人先へ進み場所を探していると、後ろを走っていたアサが「さっきの場所に水筒を忘れた・・・」とのこと・・・・
300mほど上ったのに下るのか・・・
しかし、ついさっき僕らのことを観察していた車は僕らを追い越していったし、日も暮れ始めたので先ほどの場所に戻り、そこにテントを張ることに決める。
とりあえず、テントを張ったあとも本日は屋外の様子をチラチラと確認しながら厳戒態勢!!と思いつつ30分後の19時半に就寝。
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