2012年11月19日月曜日

張りぼて→虐殺博物館→日本を見習え→搾取の恩恵で旅する


11月8日
本日の走行距離22km 計7013km

8時半起床
朝ごはんはアルメニア名物(?)のマッシュドポテト入りの揚げパン、本日出発予定であったケンタ君は僕ら&アヤちゃんの誘惑に負け出発を延期。

洗濯をし、ケンタ君とともに自転車3人組は虐殺記念館へ出かける。
街の中心は交通量が多く走りにくい・・・まず最初に寄り道してみた小さな湖はゴミ捨て場になっており無残な姿・・・

中心だけきれいにして、裏側は汚いというのは北京オリンピックの中国や、ブラジル、アルゼンチンなどの国でも良く見たが、何だか、綺麗な部分が張りぼてに見えてしまう。

虐殺記念館までの道は思ったよりの傾斜(12~14%)で荷物を積んでいなくて良かったと感じる。
ケンタ君と走って感じた事はペダルを漕ぐペースが僕らよりだいぶ速い。おそらくその方が、筋肉疲労が少ないのだろうが、どうしても僕は少し重いギアの漕ぎ応えの方を好んでしまう傾向にある。
今後、アンデスを走るときまでには少し改善しないとな・・・

博物館の中には、絞首台に吊られた人と共に記念撮影している当事のトルコ軍の写真などが展示されており、改めて「人は環境条件によっては非常残虐になる」という風景を目の当たりにした。

写真を見て怖いと思ったのはそこに写っている彼らではなく「もし自分が同じ時代に同じ環境で育ったら同じような行為を行っている可能性が十分ある」という自身の内に眠っている残虐性にである・・・
今回の虐殺は1900年代はじめに起こったのだが、係員の女性に尋ねたところ、「トルコによるイスラム社会拡大のため始まった」とのこと。まぁ、聖戦という奴なのだろう。

しばし、圧倒的な武力で多数の殺戮が行われた後、トルコで新しい勢力(アタチュルク)が権力を得た事により終わったとのことだ。

ちなみに、このアタチュルクは明治(大正?)時代の日本について学んでおり「日本社会を見習え」と言った事で、今もなおトルコ人は日本人に対して尊敬の心を持っているようだが、残念ながらアタチュルクが「見習え!!」と言った日本人像と現在の僕らの間には大きな差異があるように感じてしまう。
話は戻りトルコは今もなお、この虐殺の事実は認めておらず、謝罪も無いため両国の関係には未だに問題がある。日本と中国における満州事変のようなものなのだろう。
まぁ・・・今回の事はアルメニア側でしか確認していないので事の真意は定かではないが。

救いは、受付の女性に「あなた個人としてはトルコの人々についてどう思いますか?」と尋ねたところ「トルコ人といっても良い人もいるし、トルコ人というだけで数多くの人々を憎む事は出来ない」と言っていたこと。

お互いの利害の不一致で戦争や喧嘩など武力衝突もやむ得ない事はあるかもしれないが、一旦終わったらそれ以上に組み合うことなく握手して仲直りできる世の中になってもらいたい。もちろん心情面を考えるとそれは難しい事だが、許しあう事が世界平和のため、ひいては各々の国を守るために重要な鍵なのだろう。

久々の観光を終え、帰りは街の中心を走って帰る途中で売店でパンを買い、3人、公園のベンチで昼ごはん。
そして両替をした後、リダの家に戻る。

アルメニアの首都エレバンの中心は思った以上に栄えており驚いたが、あまりにもヨーロッパ化しすぎており、どうも、街としての表情がぼんやりとしている・・・今後世界は均一化していくのだろうな・・・それが旅人としては寂しくあるのだが、貧しい国と豊かな国の差異が縮まること自体は世界のバランスのためには良いのだろう。
といっても、未だに日本を含む先進国は途上国を搾取し続け、その甘い汁を簡単に捨てる事は無さそうである・・・(もっともその甘い汁の恩恵で一般人である自分がこうして旅行できているのだから否定できる立場でもないのかもしれない)

晩ご飯は、アヤちゃん希望のザリガニパスタ。

ケンタ君と合わせて4人でブランデーを飲みながら23時まで旅話。
本日も晩は寒い・・・

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